ドリーム坊や


ドリーム坊やを見てると、子供は身体の疲れと精神の疲れが連動してない、というのを思い出す。子供は自分の動作に容赦がない。それどころか、自分の動作に責任さえ持たない。「ヒトの所作に責任などない!」と主張するのです。素晴らしい。
テレビのお笑いに飽きたら保育園に行くと良いと思います。エネルギーが半端ない。おもしろいことは客観としての社会が考えたテクニックの中にはない、ということを見せ付けられる気がするのです。彼らは誰も追随できないほど笑う。叫ぶ。泣く。そして笑う。新しいことはおもしろい。で、そもそも、自己の存在が新しいのだから、おもしろくないことの方が少ない。おもしろいことは主観の中にあるのでしょう。だから、安易に混じっちゃいけない。かといって、こんだけ「混じれ混じれ」と教育されるんだから混じらないことは不可能だし、実際、社会が、相互に混じらない人だらけになるとやばいんだけど、まあ、あの、この辺の話はなんか絶対グルグルしてしまう。