マユモー

マユモーという飲み友達がおるのですが。

彼女の、言語に対する執着心のなさは、たまに腹が立つこともあるのですが、度を過ぎることが本当に頻繁にあり、逆に感心してしまうケースも多い。もう、言葉に対して、あまりにも適当なのです。
なんだ。普通、社会に浸透すればするほど、人は礼儀としての「正しい日本語」に捕らわれてゆくのでしょうが、マユモーは著しく例外だと感じております。

マユモーが、何か突飛な発言をする度に、僕はメモを取りたい気持ちになるのですが、そうしてないので、せっかくの突飛な発言を忘れてしまい、もったいないと思うことがよくあります。
今日は、覚えている範囲で、ちょっと書きたいのですが、もしかしたら、マユモーというのは、「日本語を話しながらも永遠に日本語に侵食されない自由な存在」なのかもしれません。とにかく、まあ、生き様を含めてなのですが、言動が極端に感覚的なのです。

例えば、誰かが怒った、という話をしている時に、マユモーは「○○が、その人の心の琴線に触れたんじゃないの」などと真顔で言い出す。僕としては、誰かが怒った、という話をしている時に、なにゆえ、「心の琴線に触れる」というワードが出てくるのか全然分からない。自分なりに、よくよく文脈を整理してみると、マユモーは、「逆鱗に触れる」と言いたかったことが分かる。

また、先日、マユモーは、僕に、「『私の青春』聴いたよ」と言ってきた。
いきなり、そんなことを言われても僕は何のことだか分からない。「何?私の青春って?」から始まって、詳しく聞いてゆく内に、彼女が言いたかったのは、僕がサイトで発表した歌の「無敵の少年」のことだというのが判明する。どうやったら「無敵の少年」が「私の青春」になるのかが分からない。ここで一番重要なのは、彼女はボケようとして言っているのはない、という点です。彼女は、至って素で、なおかつ、明朗快活にそういうことを言う。

あと、この画像です。

これは、オモコロで歌を出した時のカピバラという動物の画像です。
僕は、マユモーに、「この動物、知ってる?」と尋ねたのです。
カピバラは世界最大のネズミなんですが、まあ、マイナーな部分があるんじゃないでしょうか。あの、こう、メジャーな部分もあるでしょうけど。でも、まあ、知ってる人は知ってる、というゾーンだと思います。僕は最近激しく動物園に行っているから、たまたま知ってますが、何となく、知らない人の方が多いのかもしれない、という意識があります。そこにきて、マユモーが「知ってる!」と、意気揚々として答え、「バウでしょ!」と続けた。僕は、「それ、見た目のイメージを音にしただけだろ!」と突っ込んで、その場をやり過ごしたのですが、数分後、マユモーは、「バク」と言うつもりで「バウ」と言ったことが判明した。二重に間違っている。なおかつ、僕のツッコミも間違っていたという遡及効が働く。

このように、マユモーはニュアンスだけでモノを言うのであります。
だから、僕は、マユモーを話していると、言葉に対して真剣に向かい合うのがバカバカしくなってくるんです。まあ、それこそ「良い意味で」なのかもしれませんが、この、「良い意味で」と言う表現が、どこまで僕をフォローしてくれるのかが分かりません。

普段、僕は、ボケかツッコミかでいうところの、ボケを意識してることが多いのですが、マユモーを前にするとツッコミにならざるを得ない。こうれはもう、しょうがない。